俺の生き方

すみません 最近はひねくれ話や戦国の話ばかりで ほんと💦 皆さんもさぞかし
うんざりかもしれませんが 今年度いっぱいでSNSを辞めると思って お付き合いください😓

で また戦国のお話でございます 笑

皆さん 上杉謙信はご存知かと思います!
武田信玄と並ぶ 有名な武将ですよね
自らを毘沙門天(戦いの神)の化身と称し
"越後の龍"とまで呼ばれた男 まさに軍神‥

そんな彼は自らの欲求(領土拡大を目的とした)で 戦はしない人でした 誰かに頼られたら それに応えて戦をする、助けに応じる まさに正義の人ですね!

そんな彼の家来も忠誠心溢れた 義の人が
多いのですが‥ しかし 外れ者が一人いるんですよ

僕の好きなタイプ 笑😆

それも 家来で1番強い!

本庄繁長 "上杉家に鬼神あり"とまで言われた勇将で 圧倒的な武勇をもち また旺盛な独立心をもった男

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忠義の人が多い上杉家の中でも 異彩な存在

もともと 揚北衆という 独立心が非常に高い集団のリーダーであり、わずか13歳で
自分の家を乗っ取った叔父を切腹に追い込んだ過去が😩💦 ガキの頃からヤバいくらい勇猛

揚北衆もめっちゃ強いけど あんまり言うこと聞かない 面倒クセェ奴ら

繁長も謙信に従い 若い頃から川中島
関東征伐、様々な戦場で手柄を立てるも
他の家臣たちとは決して群れないし
彼自身も 俺は協力者であって 謙信の家来ではない と自負していました

それも 謙信は正義の戦しかしない
当然 領土拡大はないし 恩賞も感状(賞状みたいな紙)ぐらい
若き繁長は半端ない不満を貯めこんでいたんでしょうね

理想や夢をばっかりじゃ 飯は食ってはいけない
理想だらけの上杉謙信に本庄繁長が不満をもつ気持ちはわかります すごく
若いけど すごくドライで現実的な思考だったのかも

そして ついに軍神相手に反乱を起こします!!

あの謙信ですら 鎮圧には相当 手こずったらしく さすがは鬼神と呼ばれただけある
色部勝長という武将を奇襲で討ち取るなど
抵抗しまくったが 最後は孤立し 降伏

しかし ここで凄いのが 繁長がやはり強いため 謙信 あっさりと許しました
それくらい 反抗心は強いが 使える奴
だったんですね

それからは上杉家に仕え続け
謙信亡き後の 後継者争いでは 上杉景勝(謙信の養子で甥っ子)に味方

でも やっぱり性格は凶暴だったらしく
なんと かつて討ち取った 色部勝長の息子と喧嘩して 処罰され また復帰

山形県の名将 最上義光が3万の大軍で
攻めてきたときには圧倒的な戦ぶりで
撃退 逆に山形県に攻め入った

またまた 今度は豊臣秀吉に反乱を扇動したと疑いをもたれ 追放 だけどすぐにまた手柄を立て復帰~www

関ヶ原の戦いでは60歳ながら 東北の地にて伊達政宗の軍を撃破し 退却させた

暴れん坊は最後まで現役で 裏切りや問題も多かったですが 天寿を全うしました
(^ ^)

彼は独立心が高く、人の風下には立ちたくないと思いながらも 自分を認めさせた人間には尽くす という面もあり
現実を第一に ドライに考えて 行動していました

長いものに巻かれろ という現代の風潮の中 こういう 面白い生き方も悪くないですよね ていうか 僕はこんな感じの生き方です 笑 (^o^)
独立心とハングリー精神だけは半端ないですね バカだからどうしようもないが 25年間 劣等感とハングリー精神だけで生きてきた 僕にはそんな人生があってる気がする それが俺の生き方