先人から学ぶことは多い

歴史好きの私です 笑
最近は映画[関ヶ原]を観て、再びのめり込み始めていますwww

しかし、この年齢になり選手を辞めて、社会人として働きながらレースを走っている身としては歴史の偉人の言葉やその”生き様”が以前より増して心に響きます!

以前もブログでさらっと紹介した戦国武将。

熊本で崇められている英雄、”加藤清正

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豊臣秀吉に幼少期より仕え、可愛がられて育てられ武将であり、賤ヶ岳の戦いを筆頭に朝鮮出兵などでも武功をたてた豊臣家きっての猛将です。

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槍の達人で数々の戦で手柄を立てながらも、熊本城をはじめとした名城の設計、築城や治水工事などなど頭脳派としても申し分ない人物でしたし、優れた政治家でもありました。

朝鮮出兵時の虎退治の伝説をも残した加藤清正

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豊臣政権で最も強く、その力と頭脳や技術、更には揺るぎない忠誠心で秀吉の天下統一を助けました。

清正はまさに”武士の中の武士!”
ストイックな性格でもあり、常に槍や武道の稽古を怠らず、また勉学にも励んでいたとか。 流石です!!✨✨🤩

ただ、性格もやはり武士らしすぎて 笑
武闘派に属する分、対立する武将もいたそうです。

その一人が清正が大っ嫌いなライバル、
小西行長

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元は商人の出でもあり、石田三成ら、頭脳派集団”文治派”に属していました。

行長と清正は正反対の性格もあり、激しい対立をいつもしていたそう。
また二人がキリスト教仏教徒いう信仰心の違いもまた軋轢を生んでいました。

武闘派の清正は物事を最短で進めるのが最善と心得るタイプ。一方の行長は頭脳派ゆえに慎重に交渉を進めるタイプ。

僕は完全に清正タイプ 笑 早いに越したことはないし、いつまでもモタモタしてるタイプには業を煮やしてしまいます。

また石田三成小西行長はいわゆる”理系バカ”で物事を計算はできるが、あくまでそこまでのタイプで、実戦で実行する清正ら武闘派にはめちゃくちゃ嫌われまくってた様子。どの時代にも理系バカは存在する 笑

計算するだけで、実行もしない、できる勇気もない。それどころかそういう奴に限って理屈っぽく、そして上から目線www

清正は行長や三成をマジで斬り殺してやろうと何度も思ったらしいです💦

そんな気性の加藤清正ですが、部下に対しては規律は厳しくとも、恩情をかける時が多く、大変慕われたそうです☺✨

また常にストイックな姿勢が他の大名から尊敬され、戦だけではなく国の統治や城の設計などの計算ごとに関しても明るかったので今でも名君として讃えられています。

加藤清正から学べることはリーダーは強くあれ!それは何事に関しても。

無駄な繊細は必要ないなと思いました 笑

常に大胆かつ、堂々と。

ちまちました小者ような人間には部下や
周りの人間はついていきませんし😥

偉人、先人から学ぶことは多いです。
ましてや激動の時代を生きた加藤清正の強さは今の時代でも輝いています。