“調和”というなぁなぁとした雰囲気をぶった切った男

歴史に詳しくない方でもこの人物のことでしたら、名前は知っているんじゃないでしょうか?

織田信長

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間違いなく、戦国時代の覇者に相応しい人物。

天下統一という目標を掲げ、圧倒的な力で
逆らう他国の大名をねじ伏せた、まさに”魔王であり覇王”。

天下まであと一歩のところで”本能寺の変”にてその生涯を閉じた、波乱の生涯を送った武将です。

信長の強さは、”圧倒的な財力、兵力”を武器とした戦いを常に行えたこと。

彼自身は常に新しい発想をもち、当時としては珍しい”古い考えや常識”を否定できた人物でした。

悪い習慣は無くし、良いものは残す。

現代ですらも、グレーゾーンが多く、曖昧なことが多い中で、信長はその時代から既に白黒ハッキリとつけるタイプでした。

徹底的な合理主義、現実主義だったのです。

よく信長は残虐だとイメージする方も多いですし、そう認識されても仕方ない人物ではあるのですが‥

信長は自らに従う者には非常に寛大な人物でした。しかし、当時の大名や宗教勢力は独自の権力を維持したいが為に信長に従うことを拒否。

信長からすれば “なぜ天下統一を果たして、この世を戦なき平和な世にしようと考えているのに、それに従わない?!”
となります。
実際にすぐには攻めず、説得を続けたりもするのですが、”古い考え”に囚われた敵対勢力は言うことを聞かず、結局は滅ばされてしまいます。

その結果が加担した全ての人間に平等に責任を取ってもらう大量殺戮に繋がりました。

当時としてはそれは当然の行いであり、
それがなければ無駄に戦さが行われる世がもっと続いたと思います。

敵対勢力からしたら、物事はいい悪いの話ではなく、なぁなぁとしていたがらも、秩序が保たれる “調和” を大事にして来た部分があり、そこは現代と何も変わらないですよね 笑

そこに信長はメスを入れたんです。

また信長は年功序列も嫌いました。

信長が若い頃から仕えてきた家臣、佐久間信盛林秀貞の2人を追放したのです😰

諸説ありますが、この2人は信長の家来衆では年功序列ではトップにいるのですが、そのポストに見合った働きがなかったそうです。
歳食ってるだけで、働かないヤツはクビ。
当時してもこれはかなりブッとんだ人事だったそうです。

現代社会でも仕事はできないが、口は出す老害を信長は容赦なく排除したのです。

逆に身分に関係なく、才能ある人材は積極的に登用しました。その代表格が、後の天下人 ”豊臣秀吉”になります。

信長は圧倒的に強いメンタリティの持ち主でした。
人の期待や悲しみ、憎しみを一身に一人で背負い続けた、類稀なる英雄であったと僕は思います。


現代にそれだけのメンタルや新しい発想をもてる人物は現れないでしょう。

“戦国時代の覇者”はこうして、今も人々の語り継がれています。